SSブログ
前の1件 | -

一日百善すら可能にする現代的善行の積み方 [空想・哲学・思想]

            情報をメモする.jpg



昨日書いた記事「死後の世界観が与えた影響 / 宗教で不幸にならないために」の中で、有名な宗教の死後の世界観の中には共通するものがあることを説明した。

輪廻転生であろうと天国と地獄であろうと、死後の世界へ行くと、善行を多く積んだものがより良い場所へ行き、悪行を多く成したものはより悪い場所へ行くという考え方のことだ。

この考え方を信じる信じないは別としても、僕は生きているうちに善行は積んでおくべきだと思う。

死の間際になって、「良い人生だった。」と思うためは、余裕のある時でだけでもいいから善行を積んでおくほうがいい。

そうすれば、「何もできず、誰の役にも立てない人生だった。」と後悔しながら死ぬことは避けられるだろう。


善行を積むと聞くと難しそうに聞こえるが、本当は簡単なことなのだ。

道端のゴミを一つ拾ってゴミ箱に入れることも、忘れ物をした友人に物を貸してあげることも善行だ。


本当に小さいことでも、人の役に立つことであるなら、その行いは善行と呼べるだろう。



一日一善に対する考え方

一日一善という言葉がある。

1日に一つの善行をして、それを積み重ねるようにしなさいという意味だ。

僕としては特にこの言葉にこだわる必要はないと考えている。

この言葉に縛られて惰性で善行を積むよりは、やりたい時にやりたいだけ善行を積めばいいと考えているからだ。

他人の役に立つことも大切だが、そのせいで自分の精神的・肉体的健康に悪影響を及ぼしては本末転倒だ。

しかも、現代には簡単に大勢の人の役に立つ方法がある。

その方法を実践し続けるなら、一日に百善を積むことだって不可能ではない。



インターネットを使えば一日百善すら簡単に達成できる

現代にはインターネットという優れた文明の利器がある。

それを利用すれば、小さい労力で大勢の人の役に立つということが可能だ。


最初に小さいことでも善行は善行であるという話をした。

僕の個人的な意見であり、極端な例ではあるが、“カップ麺のおいしい食べ方”を知りたいと思っている人に、その情報を教えることも善行であると考えている。

ろくに料理のできない一人暮らしの若者にとっては、非常にありがたい情報であるし、役に立つ情報であると言えるからだ。

カップ麺のおいしい食べ方をツイッターなどのSNSもしくはブログなどで公表することで、一日一善どころか、場合によっては一日百善すら達成できる可能性は十分にある。


要するに、インターネットを使って人の役に立つ情報を発信することで、少ない労力でたくさんの善行を積むことができるというわけだ。



自分が発信した情報がどれだけの人の役に立ったかを知る方法

ブログであれば、コメントや訪問者数、拍手やnice!などの評価ボタンが押された数でわかる。

ツイッターであればリツイート数やお気に入り数、フェイスブックであればいいね!ボタンが押された回数などで知ることができる。

これらの数字は、あなたの発信した情報に価値があると判断されなければ伸びることはない。

だからこそ、どれだけの人の役に立ったかがよくわかる。



あなたにとって当たり前の情報でも、その情報を知らない人・知りたい人というのは意外といたりするものだ。

ちょっとした生活の知恵や、おいしい料理の作り方、お得な買い物の仕方、使ってみて良かった商品や行ってみて良かったお店のレビューでもなんでもいい。

とにかく善行を積みたいならば、誰かの役に立ちそうな情報は積極的に発信していこう。

情報の価値を決めるのは、その情報を受け取った人であって、発信する側ではないということを覚えていてほしい。

どんな些細な情報にも、誰かの役に立つ可能性は存在するのだ。




nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感
前の1件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。