人は何故生きるのかという話とか [空想・哲学・思想]
大抵の人は、何故生きるのかという疑問を一度は抱いたことがあると思う。
僕自身自分の生きる理由を見失い、一時期は本気で死にたいと思いながら苦しい日々を送ったこともある。
その苦い記憶や現在の多少まともな状態の日々から出した答え、人の生きる理由は「自分以外の誰かに良い影響を与えるためである」ということと、僕自身の生きる理由は自分自身を救うことである。
人は常に誰かが誰かに影響を及ぼしながら生きている。
あなたが友人と世間話で盛り上がれば、それはあなたの友人に対して良い影響を与えていると言える。
しかし、もしかしたら少し離れた席に座っている誰かに不快な思いをさせ、悪い影響を与えているかもしれない。
一つ一つの些細な行動が誰かに良い影響を与え、時には悪い影響を与えている。
何故人が生きる理由は自分以外の誰かに良い影響を与えることなのか
大抵の人間は自分の大切な人や友人、家族や恩師などには幸せになって欲しいと思うし、可能であれば幸せにしてあげたいと思うだろう。
そのためには少しでも良い影響を及ぼしたい、要は幸せになるための手助けをしてあげたいと考えるはずだ。
例えば何か悩み事があれば相談にのる。
手伝って欲しいと言われれば手を貸す。
本当にちょっとしたことでも、それは良い影響を及ぼしていると言えるし、幸せになるための手伝いをしているとも言える。
そしてそれらは、生きていなければできないことだ。
何故僕自身の生きる理由が自分自身を救うことなのか
僕自身の今の生きる理由が自分を救うことになったのは、簡単に言えば「自分以外に自分を救うことのできる存在はいない」ということに気づいたから。
うつ病のような状態になり、食事も食べたり食べなかったりして一日の半分以上寝ていて生きる気力が湧かない状態を乗り越え、生きることの意味や死にたいという気持ちに向き合い続けて気づいた。
自分自身が生き続け、自分が周囲の人に良い影響を与え続けるには自分自身もある程度良い状態でなければならない。
言い方を変えるならば、友人や家族のことを心配し、何か困ったことがあれば手助けが出来る程度には余裕がなければならない。
しかしだ、
自分が精神的に困ったとき、苦しんでいるときに必ずしも誰かが助けてくれるわけではない。
僕らが生きている場所は厳しいことで有名な現実だ。
物語の世界のような都合のいいヒーローやヒロインは晩年不足気味で肝心な時に現れない。
そこでどうするか、
いないなら自分でどうにかすればいい。
要は自分が自分を救えば万事解決なのだ。
特に精神的に落ち込んでいる状況や死にたいという思いは一生つきまとうものだ。
精神科医なんかに言っても適当に話を聞き流されて、ろくに効果のないお薬を出されるだけ。
だったら自分で何とかするしかない。
自分で自分を救うしかない。
死にたいと思いながら生きている自分よりは、生きることを楽しんでいる自分の方が周りに良い影響を与えられるのは間違いない。
死にたいと思うとき、どうすれば自分を救えるかを考えてみてはどうだろうか。
そうして這い上がることができればきっと、自分の周囲の人が苦しんでいる時に力になれるはずだから。
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